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香りを運んだ古道、竹内街道〜3章 天平時代、鑑真和尚が運んだ香り〜

 東大寺の正倉院に伝わる蘭奢待という香木の名前を知っている人も少なくないと思います。正倉院に伝わっているという事で、聖武天皇の時代に日本に伝わったと言われていますが、実際には9世紀頃のものではないかと考えられています。時の権力者がこれを切り取り、特に足利義政、織田信長、明治天皇の三者については切り取った場所に付箋で名前が明記されて残されています。沈香の中でも最高級の伽羅であるとされています。

 あをによし 奈良の都は 咲く花の にほふがごとく 今盛りなり 小野老(おののおゆ)

正面に唐招提寺金堂
 青丹よしの枕詞から始まるこの歌は、平城京に遷都して建築ラッシュで賑わっている都の様を遠く離れた大宰府で歌ったものとして良く知られているかと思います。華々しい奈良時代、仏教と共に様々な新しい文化が日本に届けられましたが、香りの文化もそうした時代に新たな転換期を迎えます。

 鑑真和尚は、日本国内に仏教を広めるために、何度も挫折しながらも最終的に訪れることが出来たといった漠然と理解されているかと思います。聖徳太子の時代から百年ほど経った後のことになります。鑑真和尚は戒律の僧として当時の唐で隋一と称されるような高僧でしたが、時の皇帝の命に逆らいながらも、僧侶となるための受戒と、戒壇院の設立のために大変な苦労の末、来日することになりました。
 役人の目を盗みながら5回も渡航に失敗し、6回目の遣唐使船の帰路に同乗して、ようやく日本に到着します。最初に鹿児島の坊津に上陸し、大宰府、四国を経て大阪の難波津に入港、大和川から淀川を上って京都に入ってから奈良に下って都入りしたと伝えられています。残念ながら大阪には鑑真和尚の足跡を残すものはありませんが、途中立ち寄ったとされる四国に屋島寺があります。その後、嵯峨天皇の勅願により弘法大師が伽藍を整備して現代に至っていると伝えられており、四国八十八箇所の84番目の霊場となっています。

鑑真和尚の御廟(唐招提寺)
 また鑑真和尚は医薬の知識も豊富で、唐招提寺の庭に薬草園を作って栽培し、漢方の薬草や香料の調合などを日本に伝えたといわれています。現在のお香の中には沢山の漢方や薬草が調合されていますが、お香と薬は原料を辿れば同じ漢薬にあたります。また唐招提寺の薬草は現在でも大事に育てられ、日本に中国医学を正しくもたらした最初の人とされています。こうして鑑真和尚によって伝えられた様々な香が、後の平安時代に入って貴族のたしなみとなり、現在の香道に受け継がれていきました。

2013.7.1掲載
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