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香りを運んだ古道、竹内街道〜7章 香りの文化の十字路 後〜

 平安貴族による香りの文化や仏教を通じての香りの文化は、数百年という時間をかけてゆっくりと日本全国に浸透していきます。貴族の嗜みとして育まれてきた香りの文化は、政治の中心が武家に変った後、それが全国に広く拡散する大きな転機に差し掛かります。
 京都の町を一変させた応仁の乱は、長く続く戦乱や混乱ばかりのように見られていますが、同時に貴族の文化を継承した文士を全国に拡散させる役割も果たしました。応仁の乱により疲弊した京都の都に代わって、有力商人を中心とした自由都市堺に多くの文士が避難し、更に都で育まれた優雅な文化を商人と共に全国に広めていくきっかけとなったようです。

南宗寺にある牡丹花肖柏の墓
 千利休の師だった武野紹鴎が茶道を学んだとされる三条西実隆は、香道の始祖とされるほど、お香との関わりの深い文化人です。宮中のお香や、源氏物語の時代に平安貴族が競い合った香りの調合など、この頃に改めて研究され、今に伝わるお香や香道が生まれたとされています。
 堺の香りの文化、江戸時代からの線香の歴史にも関わる重要な文人として、連歌師の牡丹花肖柏(ぼたんげしょうはく)の名前が挙げられます。牡丹花肖柏は、この三条西実隆に源氏物語などの古典を学び、香と花、酒を愛する放浪の連歌師でした。

 肖柏は、戦乱を避けて堺に移り、現在の三国ヶ丘に庵を構えて、商人達に和歌や連歌を伝えました。当時、堺の有力商人は、教養の豊かな人材が多く、京の文化を携えた肖柏を中心に文化サロンが形成されて、後の利休などによる茶の湯の文化にも大きく影響を及ぼしました。
 この肖柏の残した「三愛記」に、お香について書かれています。

「香」は、沈水をもととして、此のくに(国)にひさしく伝し蘭奢待、紅塵、中河などなだかきを賞し、「あはせたきもの」は、梅花、荷葉、新椛等をもてはやし、家々にいどみきたれる秘方(法)をも伝て、いささかのふかさ、あささをととのへ・・・。

 応仁の乱の後には、こうした文人らにより平安貴族が育んできた文化が広く全国に拡散していきます。そうした文化の伝播が、後の戦国時代の茶の湯や線香へ受け継がれていったとされています。



2014.8.29掲載
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