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堺、香りの物語〜2章 師としての武野紹鴎〜

 利休が17歳の時と19歳の時と、それぞれ二人の師について茶を学んだとされていますが、その一人に武野紹鴎(たけのじょうおう)という非常にユニークな茶人がいました。
 この紹鴎も堺の大変な豪商だったそうです。屋号を「皮屋」と言い、武具甲冑などに関係する商家であったといわれます。まだ紹鴎が若かった時、京都に赴き、歌学の権威であった三条西実隆について古典を勉強し連歌に没頭していたそうですが、その後、堺に戻ってからは、南宗寺に住した禅僧大林宗套に参禅し、茶の湯に開眼すると、その後は「茶禅一味」の侘び茶を深めていきました。この南宗寺は、大阪府堺市にある臨済宗大徳寺派の寺院で、もちろん現在の堺市にも健在です。
 「茶禅一味」とは、茶道とは禅宗から起ったものであり、禅と同じものを追求する、といった考え方です。この考え方は、一休禅師にまでさかのぼるとされています。

 このような禅の要素をとり入れた茶道は、利休をはじめ、当時の茶人達に大きな影響を与えました。その一人に松永久秀がいます。久秀と言えば、最近ではアニメにもなったカプコンのゲーム「戦国BASARA」にも見られるように、とかく謀略面が注目されますが、彼もまた当時の最高の茶人の一人に数えられる人でした。
 茶人としての久秀というと、平蜘蛛(ひらぐも)茶釜とか、九十九髪茄子(つくもなす)といった茶入れなど、名茶器の所有者として知られています。もっともこの二つの名茶器は、信長や秀吉、家康などの画策や伝承などで有名で、伝説の茶器といった感じです。
 インターネット上では、この平蜘蛛釜も九十九髪茄子も検索すれば画像を見ることができますが、実際には伝承が残っているだけでどちらも本物かどうかは判断保留のままのようです。こうした当時の茶器は、大半が宋や明といった中国など、海外から輸入された舶来品で、当時の貿易港だった堺にも相当な茶器が輸入されたものと思われます。

 実は、こうした海外の珍しい舶来品と共に、恐らくまだ利休が南宗寺で紹鴎をはじめとする、様々な文化人に学んでいた頃、フランシスコ・ザビエルが堺に到着します。ザビエルはその後京都へ発ちますが、その間、利休や紹鴎と同じく堺の豪商だった日比屋了珪がザビエルを支援して住居を提供し、後にキリスト教徒として洗礼を受けることになります。
 このザビエルの居住地が、現在、堺市内のザビエル公園として残されています。また日比屋了珪の屋敷は、利休や紹鴎の住居と600メートル程の距離で、同じ堺衆として近しい間柄だったといわれています。
 実際、利休がこの時ザビエルに会っていたかどうかは全く分かりませんが、少なからず宣教師達に堺の街中で会い、時には親しく懇談した事もあったかも知れませんが、流石に推測が過ぎるかとは思います。
 このように応仁の乱以降の時の最高権力に最も近く、更に文化的にも常に最先端の文物に触れる機会の多い環境の中にあって、遠くは一休禅師に通じる精神性と最先端の海外からの舶来品の渾然一体とした中で利休は成長していったといえます。


2012.02.28掲載
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