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堺、香りの物語〜3章 利休の色〜

 さて、利休周辺の人間関係から少し離れて、利休が及ぼした波及効果、その後の影響について、江戸時代の利休に関わる流行色についてみていきたいと思います。
 利休に因んだ色の名前は結構な数があります。まずは利休が好んだという謂れのある利休色。その他にも利休茶、利休白茶、利休鼠、利休藍(藍利休とも)等は今日でも良く知られた色の名前とされています。

 これらの色は、実際には利休が好んだ色というよりは、むしろ抹茶の色のイメージから後世の人が「利休」を形容して呼んだものと言われます。大体は江戸時代後期の流行色だったそうですが、既に利休の名前がステイタスになっていて、着物などに用いられていく過程で「利休」の名前を冠していったものではないでしょうか。
 総じて江戸時代の色の名前は品が良いというか、風情のある名前を生み出してきましたが、特にグレーと茶色が人気で、魅力のある名前が作られてきました。
 そうした色の名前の中でも特に利休の名前が使われた色は、抹茶を連想させるやや緑掛かった渋みのある上品な色で、人気が高かったようです。

 こうした利休の名前を冠した色の中でも、今日でも、もっとも良く知られているのが利休鼠(りきゅうねず)かと思います。この色も、新緑を思わせる淡い緑色をかすかに帯びた、上品なグレーで、着物に良く使われた色だったようです。
 現在、この色の名前が知られるようになったのは、北原白秋による「城ケ島の雨」の詩の一節「雨はふるふる 城ヶ島の磯に 利休鼠の雨がふる」が一役買ったと言えるでしょう。
 白秋は利休鼠という色についての知識があったでしょうが、幾ら江戸時代の流行色だといっても、広く全国津々浦々まで知られていた訳でもなかったかと思います。この白秋の詩が知られるようになって、改めて「利休鼠」という江戸時代の色が再認識されるようになったのだといえます。

 今日では、利休という名前から連想されるイメージとして、抹茶の色とか侘び寂びを感じさせる古風な雰囲気が上げられるでしょうが、江戸時代の人々にとっては、もちろん侘び寂びや素朴さを感じさせる部分はあったでしょうが、そればかりでは無かったようです。鮮やかさや華やかさとは違った、一見地味に見えても瞬間的に感じるような、一歩引いたところに現れる新鮮な色彩として「利休の色」を感じたように思います。
 そういった意味でも、少し洒落たイメージとして「利休」というブランドを大事にしてきたのかもしれません。


2012.03.09掲載
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