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堺、香りの物語〜13章 堺と白檀2〜

 仏教が伝来した6世紀頃は、恐らくお香もかなり国内に持ち込まれたはずだと思いますが、沈香については有名な日本書紀の記載がありますが、それ以外のお香の材料については大体同時期に入ってきただろうという事になっていて、あまり詳しく研究されてきた事もないように思います。
 さて、沈香は、推古天皇の時代(595年)に淡路島に漂着した木片を島民が薪代わりに焚いたら、良い香りがしたので献上され、聖徳太子がこれは沈水香だと大変喜ばれたといった逸話が伝わっています。この時の香木をもとに観音菩薩が刻まれて、吉野に安置されたそうですが、現在、法隆寺夢殿に安置されている観音菩薩像がそれではないかと言われています。

 仏教伝来から数十年で沈香が珍重された経緯を考えれば、当時は、新しい文化を取り入れて、それが一斉に開花したような状態だったんでしょうか。お香の原料もほとんどが東南アジアやインド原産ですから、恐らく中国との交易によって、難波津へ、そして陸路や大和川を上って飛鳥まで運ばれていったと思われます。

 ところで、白檀の名前が確実に記されているのは、奈良時代、鑑真和尚が苦労の末、日本に辿り着いた際、香木や薬草の中に白檀もあったとされていますが、流石に遣隋使が派遣されてから200年程後のことなので、それより以前には既に国内に白檀が持ち込まれていた事でしょう。
 ところで、鑑真和尚も鹿児島県の坊津に到着した後、大阪の難波津に入り、大和川、淀川を経て奈良に入ったとされています。

 飛鳥時代、更には遣隋使や遣唐使の時代に至るまで、長い間難波津や住吉津が海外との交易の窓口とされてきましたが、丁度その時、積極的に仏教やその文化を国内に取り込もうとする時期と重なっていました。飛鳥時代や奈良時代、既に堺周辺には仏教の文化と共に、様々な薬草や香木が持ち込まれていた事が伺えます。
 そして、今でも堺から飛鳥に向かう竹内街道沿いには、仏教が日本にもたらされた後、遣隋使の時代に至るまでの様々な史跡が残されています。


2012.07.16掲載
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