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堺、香りの物語〜15章 海の堺、陸の今井1〜

 戦国時代、貿易港として世界に開かれ、自由都市として知られていた堺。
 堺の歴史を紐解く場合、堺と並んで江戸時代まで隆盛を極めた奈良県今井町についても触れるべきでしょうか。この今井町は、戦災で多くが消失してしまった堺に比べて、豪商の商家が立ち並ぶ伝統的建築群保存地域として当時の風情を良く残していて、今日では奈良県の代表的な観光地のひとつとして良く知られています。

 さて、今井町は、堺から奈良に向かう竹内街道を東に進んで、二上山を越えて奈良盆地の南側、現在の橿原市の中心部に位置しています。畝傍山、耳成山、天香久山の大和三山の中間に位置し、南に下れば飛鳥、北上すれば奈良市の市街に向かうことが出来ます。
 もともと今井町は、奈良興福寺の荘園、奈良県内に散在する環濠集落のひとつとして発展し、室町時代には大阪南部の富田林市などと共に一向宗の寺内町として栄えましたが、戦国時代から江戸時代にかけて、大阪や堺と奈良の各地とを繋ぐ陸路の中継地として大きく発展する事になります。

 かつては「海の堺、陸の今井」と呼ばれる程の栄華を誇った今井町ですが、その歴史は堺とは非常に深い繋がりがありました。
 応仁の乱によって京都が混乱し、後に織田信長が登場するまで乱世の時代に突入しましたが、丁度その時期、堺は貿易港として莫大な物資が集まると同時に、文化的にも情報発信拠点としての役割を担うことになりました。今井町の興隆は、この信長の頃に当たります。

 さて、堺と信長との関係について見ていけば、千利休や今井宗久、あるいは小西行長といった名前が必ず挙げられるかと思いますが、これら堺の豪商や堺に縁の深い大名などの活躍と今井町の興隆は、非常に深い部分で繋がっています。
 さて、改めて自身の出身地であり、氏の由来でもある今井宗久と今井町との関わりについて改めて見ていきたいと思います。



2012.08.15掲載
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