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堺、香りの物語〜9章 一寸法師の由来1〜

 住吉津から堺、そして竹内街道を越えて飛鳥、奈良へと続く道が古代の重要な文化伝来のルートで、戦国時代より遥か以前から最先端の文化や文物が往来する街として、堺が発展して来た過程が事が少し見えてきたかと思います。
 飛鳥時代、聖徳太子が活躍した時代より以前になると、情報が限られますが、堺から二上山にかけての古代の街道沿いには沢山の古墳群があるので、恐らくはこの時代には既に相当な人の往来があったのでしょう。
 そして、人の往来と共に海外の商人を通じて色々な物の往来もあったかと思われます。

 ところで、誰もが良く知ってる昔話の「一寸法師」。
 一寸法師といえば、お椀の船で京に上って、針の刀で鬼退治、鬼が持って打出の小槌で大金持ちになるといったお話ですが、実は大阪付近での話だったそうです。お爺さんとお婆さんが子供ができますようにと住吉の神様にお願いしたら、一寸法師が生まれて・・・といった話で始まり、川を伝って淀川から加茂川へと、お椀の船で京に向かったというのが元々のお話です。この住吉の神様というのが住吉大社なので、まさに堺から大阪市南部にかけてのお話ということになります。
 この一寸法師の話は、室町時代か、それより少し前くらいに出来たお伽話らしいですが、江戸時代頃に日本全国に広まったそうで、その頃から徐々に住吉の神様という部分が、色々な地域に伝わると共に曖昧になっていったようです。

 この一寸法師の話、実は世界中に良く似た話はあって、例えばアンデルセンの親指姫や、イギリスの親指トムといったようにヨーロッパや、更にはインドやトルコにもあるそうです。元々の話はヨーロッパの物語で、それがインド、トルコあたりに伝わったらしいとも言われますが、どうやら日本の一寸法師の話も含めて、どこの話がどのように伝わったのかあまりはっきりしないようです。
 さて、日本の場合、一寸法師の話も元々はヨーロッパから伝わって来て今に至ると考えるには、宣教師が堺を訪れた戦国時代よりもう少し時代が遡るようなので、ヨーロッパから直接日本に伝わった訳ではないようです。むしろ堺に到着した様々な文物と一緒に物語の原型のようなものが日本に伝わったと考えた方が良いかもしれません。
 このあたり、改めて一寸法師の物語をもう少し掘り下げて行きたいと思います。

2012.06.05掲載
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